新聞配達の仕事は慣れたら日常になる
子供の自主性を大切にする両親から「自分のやりたいことを自分で考えてやりなさい」と言われてきました。そんなこともあって、幼いころから自分が将来について、どう生きていきたいのかを考えていました。いつかは海外に出て、人の役に立つような仕事に就きたい。そう思って選んだのが、亜細亜大学の国際関係学部。やはり世界に通じるような勉強をしたかったからです。
大学進学にあたっては、なるべく両親に負担をかけたくなかった。知人から日経の新聞奨学生について話を聞いていたので、不安や戸惑いは全くありませんでした。それよりも、「4年間、学業と新聞配達の仕事を両立する生活を貫くことができたら、自信になるし、かっこいいな」と(笑)。新聞奨学生の生活は、仕事を覚え、体が慣れるまでは、苦労することもあります。でも、慣れれば、それが日常になっていくものです。私の場合は、途中で専売所の統合などがあって所属する専売所が変わったので、一から道を覚え直すなんてこともありました。それでもなんとかなりましたから。
仕事と真剣に向き合ったから問題解決の力が身についた
朝夕刊の新聞配達の仕事と学業の両立は、やはり忙しいですね。他の学生のように、講義を終えてから遊びたいなと思う気持ちが芽生えることもありました。でも、仕事を通して、人とは違う経験ができたと自信をもってアピールできる。そう考えてきたから、4年間の新聞奨学生の生活を終えようとしている今は、やっと終わったというよりもむしろ、名残惜しい気持ちの方が強いんですよ。
新聞奨学生を続けてきてよかったと思えるのは、例えば、何か壁にぶつかった時に立ち上がる方法を身につけることができたことです。最初のうち、どうしたらミスなく効率良く配達できるのか悩んだことがあったんです。それでまず、自分自身であれこれ配達方法を模索。それでも、思ったようにいかなかったので、先輩に相談しました。すると、20部ずつの新聞を1塊りにして、ミスがないか確認しながら配達する「ブロック分け」という方法があることを教えてもらいました。この配達方法に加えて、自分なりにスクーターへの新聞の積み方などを工夫すると、配達時間が30分近く短縮。ミスも全 くしなくなったんです。
そうした成功体験を積むことで、何か悩んだ時にはまず自分で考えてみて、それでも解決できない場合には人の意見を聞き、問題解決方法を考える力が実践の中で得られ、自分自身の成長を感じることができました。
卒業後は、オーストラリアに留学することが決まっています。新聞奨学生を4年間やり遂げたことで自信をもてたので、これからの新しい海外での生活が今、とても楽しみなんです。NPOやNGOなどで国境を越えて人と人とが共生する社会に役立つ仕事に就くという夢を叶えるために、さらに成長できたらと思っています。